園長挨拶
「生きている限り個性的、創造的でありたい人間の根っこを育てる」という建学の精神を実現するために、銀嶺幼稚園はその時代に生きる子どもたちに最もふさわしい教育・保育の方法を常に模索し続けています。現時点ではその理想の実現に最もふさわしいメソッドがモンテッソーリ教育であると考え、平成元年から保育活動の核に据えています。
さて、文科省の諮問機関である「中央教育審議会(中教審)」は、幼児教育のあるべき姿について、より具体的な目標がイメージできるよう、幼児期の終わりまでに育ってほしい幼児の具体的な姿として以下のような項目を示しています。
健康な心と体
自立心
共同性
道徳性の芽生え
規範意識の芽生え
いろいろな人とのかかわり
思考力の芽生え
自然とのかかわり
生命尊重、公共心得等
数量・図形、文字等への関心・感覚
中教審が提示するこれら10項目の全てが、モンテッソーリ教育を活用して実現させようとしている銀嶺幼稚園の教育理念と密接に関係しています。
健康な心身に支えられた自立心に溢れる人づくりと、全ての子どもの自立心を尊重する共同性の醸成は、創立以来の最重要項目です。自分が生きたいように生きるには、他者もそうであることを容認しなければなりません。子どもたちは自分らしく生きる道を模索すると同時に、自分の意志と他者のそれとの調整を通じて道徳、規範などを育み、人どうしのかかわりについて学んでいきます。
銀嶺幼稚園では、あらゆる事象に関して「本物」と触れ合うことを大切にしています。子ども向けに簡易化されたものではなく、本物だけが持つ色、輝き、音、臭い、形、手触り、大きさ、重み、仕組み、原理…などに接することで、なぜそうなのか、どうしてそうなるのか、といった純粋かつ素朴な問いを引き出し、探究心と創造性の種を育てます。やがてそれは知的好奇心となり、数量、図形、文字などへの関心に昇華され、思考力を深めていきます。
モンテッソーリ教育を実践する「おしごと」の時間では、3歳~6歳児の成長発達において最も伸長が著しいとされる領域を存分に刺激する活動が用意されています。子ども自身の自然な好奇心が活動の発端になることもありますが、クラスが異年齢の縦割り構成となっているため、年中児、年長児が取り組む様子を見て年少児が「見よう、見まね」で取り組むことも珍しくありません。年長児が年少児にやさしく教える場面がいたるところで見られます。クラスの中に小さな兄弟、家族に似た関係がつくられます。
外部から訪れた方に「銀嶺の子どもは落ち着いている」とよく言われます。それは、子どもたちの内なる成長への変化が「今、したいこと」として発現すること、言い換えると、「生物学的、生理学的、発達心理学的変化が行動として現れること」を実生活で存分に実践することが保障され、それを行う中で、自ら主体的に取り組んだ過程と結果が周囲から承認され、自己充実感を得ているからではないかと思っています。
子どもの体内で成長のタイミングが熟していないことを強制的に一斉活動の形で与えても、子どもはそれを的確に消化することはできません。「やりたいこと」と「やらされること」が違うという消化不良の状態を続けていくと、心理的な不協和が形成されます。そしてその心理的不協和の集積が一定限度を超えてしまうと、その解消のために、自身の存在を無理矢理に誇示する行動(大人を困らせる、秩序を乱す、いじめ等)を起こすようになるのです。
やりたいことばかりやらせていては偏った発達になるのでは、という質問を受けることがあります。成長・発達に応じて内から湧き出た要求に従い、一つの領域を存分に成長させる環境を保障され、仲間や大人に承認されて自己実現を味わった子は、またすぐに別の領域の発達に促されて別の行動に集中していきます。体内で起きている変化を子ども自身が的確に整理して自らの「学び」につなげていくのです。入園して3年後、子どもは見事に自分で自分を鍛えた結果を携えて小学校に向かって歩みます。
銀嶺幼稚園の教育は、5年後、10年後に明らかな形でその成果が示されます。多くの仕事がAIに置き換えられる近未来にあっても、個性的、創造的、という要素は、永遠に血の通った人間のみの領域です。横並びでなく、画一化されておらず、「この人でなければ」という強みを持つ人間を、これまでも、これからも育てていきます。
園長 永井 洋一