銀嶺幼稚園について

園長挨拶

今や生成AIが作家のような文章を書き、イラストレーターのように絵を仕上げる時代になりました。チェスや将棋ではAIが人を負かす域に達しています。すでにファミレスではホール係の代わりにロボットが配膳を受け持ち、スーパーやガソリンスタンドではセルフ支払いが普及し、一部の交通機関でも自動運転が行われています。近い将来、AIが主な役割を果たす、あるいは完全に人の代行をする仕事はさらに増えていくでしょう。

これまで日本では、膨大な暗記から一つの「正解」を絞り出す形の「テスト」で高得点が出せる人間を優秀としてきました。そして、その記憶力を柱とする「学力」によって一定以上の偏差値の大学に進学し、業績の良い企業に就職すれば、あとは「出る釘」にならぬよう注意し、仲間との和を乱さぬよう気をつけ、重大なミスをしないよう冒険をせず、粛々と組織の歯車になっていれば安泰な生活が保証されると考えられてきました。

1980年代末にバブル経済が破綻し、以降、日本は失われた30年と称される低迷の時代に突入し、現時点でもそれから完全に脱し切れてはいません。その間、以前は優良企業の代表のように見られていた家電メーカー、大手流通グループ、百貨店、音響メーカー、重工業企業などが次々に倒産したり買収されたりしました。デジタル化によってフィルム会社が業態を全く別のものに転換するなどの変化も起きています。目まぐるしく情勢が移り変わる世界においては、一昔前の常識は通じなくなり、古い考えや価値観に固執していると、激しい変化に対応できず置き去りにされてしまいます。

業態、職種、仕事内容、価値観、評価基準が次々に塗り替えられていくこれからの社会において、その荒波を乗り越えていける人材はどんな能力を持つ人でしょうか。豊富な記憶とその正しい復元という、これまでの受験社会で重視された力では、予測不能な変化の連続に太刀打ちできないことは明らかです。

現状を分析して正しく把握し、いくつかの可能性を想定しながら最適な結果に結びつく方法を編み出し、そこに独自色をつけて他と差別していくアイディアを加え、それを強い意志で実行していく…つまり柔軟な対応力と決断力を備えた人物が重用されていくことでしょう。

柔軟な対応力は創造性と独創性から、強い意志と決断力は主体性から生み出されます。世の中の仕組みが変化し、AIが台頭する社会の目まぐるしい変化に適応していく人材を育てるためには、創造性、独創性、主体性を醸成する人材育成が不可欠なのです。

幼稚園という人生初の教育機関において、いかにして独創性、創造性、主体性の発芽を助け育むのか。それはかつてないほど大きな、いや、大きなというよりむしろ決定的な意味を持っていると思われます。

銀嶺幼稚園の教育理念の柱は1956年の創設以来、独創性、創造性、主体性です。この三つの概念は、銀嶺幼稚園のみならず、文科省の教育要領を筆頭に日本中のほとんどの教育機関の理念の中に何らかの形で引用されているはずです。しかし大切なことは、それが文字で謳われているだけでなく、教育の現場でどういう形で具現化されているのか、ということです。

銀嶺幼稚園が導入しているモンテッソーリ教育では、それら三つが子どもたちの中から自然に導き出されるような仕組みが豊富に用意されています。「自分で」「自分らしく」「思ったとおりに」などと大人が誘導せずとも、子どもたちが自然に独創性、創造性、主体性を発揮するような設定になっているのです。子どもたちは自分の意志で自分らしく創作活動をしていくことで、3~6歳の時期に最も発達の著しい能力を思う存分伸ばし、達成感を得るとともに周囲からの承認を受けて自己充実感を満たします。

モンテッソーリ教育の目的は「良き市民」を育てることです。それは、よりよい社会を造っていくために自分の目で見て自分の頭で考え、物事の真理を見極め、本質を理解できる人間であり、成すべきことに対して主体的に行動できる人間です。

Appleを生み出したスティーブ・ジョブスは「あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない」と言いました。「前からそうだったから」「皆がそうしているから」「誰かが言うから」という動機は、他人の人生を生きることにすぎません。自らの人生を自ら創っていくことこそ天から命を与えられた者の使命なのです。

激しく変化する社会情勢の荒波に翻弄されることのない、確かな羅針盤を持った人間になるその第一歩を銀嶺幼稚園から始めてほしいと思います。

園長 永井 洋一

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