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広告文からのメッセージ(ゆきわり草12月号)

令和元年11月23日(土) 園長 尾﨑 春人


『あなただけの咲き方で』八千草薫著、幻冬社刊の広告に思わず目を通している晩秋の休日でした。

 

八千草薫は「誰でもひとつは宝物をもっているという言葉をきいて、自分らしくあればいいのだと心底楽になったのです。」(元文通り)続けて広告文は「だから皆様もぜひ自分だけがもつ宝物を大切にしていただきたいと願っています。」と、先日他界された名女優は遺言とも受け取れるブログで結んでいました。

 

上文の付線部分は偶然にも、本幼稚園の建学の志(=教育目標)の部分と一致していることに興味をそそられました。そして〝自分だけがもつ宝物″という指摘は大いに参考に成ると同時に、〝自分らしくありたい″と願う者にとって急所を得たヒントであると感じたのです。

 

その際、「宝物」とは何かが、出発点であり重要なキーワードだろうと考えました。金銀宝石、書画骨董や富などもその中に含まれるでしょうが、元名女優も宝物に〝自分だけがもつ″を付記されていることからも想像できます。その人々にとって大切なもの、価値あるもの、愛して止まないものなどを意図しているに違いありません。ものの中には人やペットのような生き物、山や河、自分が学習したり、精進している学課や職業、趣味など、特に家族や友人である場合も少なくないでしょう。

 

従って上記の類の宝物とは、他と比較したり、評価したり、軽重を競うことは無意味で不可能なことであることが理解できます。

中学生の体験活動


「造形の日」に来園した元教師達

しかし、個人がもつ価値観は、時間の経過、自己変容、環境の変化などに影響され固定されることは稀(まれ)でしょう。むしろ年代という時間軸に沿って、消えたり、更生したり、新たな対象として人や物が誕生したりするのは体験された方も多いと思われます。

幼稚園時代の子どもにおいても同様な傾向が現われます。大人が見ると「何んだ、ガラスのかけらじゃないか、すぐ捨てなさい」といいたいものでも、本人にとっては、園庭で見つけたピカリと光る宝物だったりします。岸根公園で拾ってきたドングリで、帽子(がく)を付けた一箇を宝物として常にポケットに忍ばせる子もいました。

この場合、お母さんや保育者が硝子の破片のように「捨てなさい」という代りに、「キレイ!どこでみつけたの?」と声をかけ下さると、その子の宝物は増々輝くことでしょう。

本来、子どもは生まれながらの発見の名人です。その意欲も能力も大人の常識(主に安全と社会性と称する名目)で抹殺してしまうのは残念なことです。寺田虎彦の口癖を借りれば「ねえきみ、不思議でしょう」と常に相手をしてやれない私達教育に携(たずさ)わる者の責任の重さを揶揄(やゆ)することばとして、八千草薫の著書の広告文の一節がいつまでも消えようとしません。


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