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ゆきわり草10月号

2021.10 園長 永井 洋一


「見る人に、物のあはれをしらすれば、月やこの世の鏡なるらむ」 平安時代に在位した崇徳天皇は、権力争いの渦に巻き込まれ満3歳で即位したものの、18歳で異母弟に譲位することになり崇徳上皇(崇徳院)となります。近衛天皇となった異母弟はしかし、17歳で病死してしまいます。次の天皇には崇徳院の子が即位するはずでしたが、政略の末に幼い異母養子が即位することになり、その父(後の後白河天皇)が実権を握ってしまいます。 その後、崇徳院を推す勢力と後白河天皇を支持する勢力が争う「保元の乱」が起き、崇徳院は敗れて讃岐に流されてしまいます。幼いころから権力争いに巻き込まれ、自分自身のみならず子どもも陰謀、策略に翻弄された末に最後は流罪になるという悲運。崇徳院は積もり積もった怨念から死後、怨霊になって数々の祟りをもたらしたとされています。 その崇徳天皇が秋の月を見上げて読んだのが冒頭の歌です。月を見つめていると、人の世の無常を映し出しているように思える。まるでこの世を映す鏡のようだ、と。

千年前に崇徳院が見た月と同じ月を今、眺めつつ、千年の流れを思います。その間、武士が闊歩した時代が長くあり、鎖国の時代があり、開国・文明開化があり、おぞましい戦争と被爆があり、急激な経済成長とバブル崩壊があり、人類は火星に探査機を送り込み、今、子どもたちはスマホ片手にyoutubeを楽しむ時代になりました。 長い長い時が流れました。しかし、私たちは中世にも繰り返しあったとされる疫病の蔓延に今も苦しみ、為政者は平安時代と変わらず国民そっちのけで権力争いに血眼になっています。取り巻く環境が変わっても、人は結局、千年前の崇徳院の時代と似たようなことを繰り返しているようです。

千年前に、人の世を映す鏡のようだと詠われた月は今、大国間で地中の資源争奪戦が取りざたされる場所になりました。月とは、うさぎがいる場所ではなく、地中のレアアース獲得のための掘削が行われている場所という認識が一般的になった時、日本人は一体、何を眺めて世の無常を思えばいいのでしょうか。

映画「2002年宇宙の旅」で謎の物体モノリスが指し示したように、その次の神秘の象徴は木星に受け継がれるのかもしれませんね。


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