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ゆきわり草10月号

2022.9.29 園長 永井 洋一


10月には子どもたちが楽しみなハロウィーンがあります。ハロウィーンはイースターやクリスマスなどと並ぶキリスト教系のイベントと思われる方もいるようですが、キリスト教とは関係なく、紀元前に今のアイルランド、イギリス付近で栄えた古代ケルト文化にルーツがあるとのことです。

ケルトの言い伝えによると、秋深いこの時期になると現世と霊界との扉が開き、死者の霊が舞い戻ってくるのだそうです。人々は魔除けのランタンをともし、仮装をすることで霊が乗り移りたがる元気な人間ではないことを装うのだそうです。子どもたちがお菓子をもらうのは、霊の機嫌を損ねないようにお供物を供える習わしが変形したようです。

日本のお盆も死者の霊あるいは魂が決まった時期に舞い戻るという考え方に基づいています。霊が舞い戻ったときに迷わないように灯火で場所をお知らせし、お供物を供えてもてなします。ハロウィーンはどちらかといえば霊との遭遇を怖がっているようですが、お盆は霊が帰ってくることをむしろ歓迎する形です。人々の心理は異なれど、生命の他に霊、魂という存在があると考えることは共通しています。

日本では霊、魂という概念はかなり広く受け入れられていて、身体が失われても魂は残ると考えている人は一定の数いるようです。事故で人が亡くなった時、現場に霊が戻ると考え花や供物を供えて手を合わせます。戦没者、災害被害者などの魂を鎮めるための慰霊碑あるいは鎮魂碑は各地に建立されています。

日本も含む東アジアで受け入れられている霊、魂という概念は、もともと中国土着の道教、あるいは儒教の思想から生まれたとされています。魂が戻ってくるときに「拠り所」が必要ということで、古代では死者本人の骸骨が用意されていたそうです。それが次第に「そのような形」である代用物に置き換わり、やがてそれは人形のような置物になります。その人形も次第に簡略化されていき、手足に見立てたものがなくなり、最後は上部が丸くカーブした長方形の置物になります。それが今の位牌の原型です。

ですから位牌はもともと道教、儒教の死生観を示しているのです。日本ではそれが「仏壇」に収められています。仏壇はいうまでもなく仏教信仰の装置の一つですが、仏教の教義に魂、霊という概念はありません。仏教では宇宙は仏、人間、畜生、餓鬼、修羅、地獄の6つの世界から成立していて、生命は必ずその6つの世界のどこかに存在し、来世、また来世と永遠に...6つのどこかを輪廻し続けると考えます。ですから、魂という形で彷徨うという概念はないのです。

魂、霊という道教、儒教由来の死生観に基づく位牌が、六道輪廻の死生観を唱える仏教の仏壇に鎮座しているということは本来、おかしなことです。ましてや位牌に刻む「戒名」なるものに高額のお金を支払うなどという現在の風習を仏教の開祖・釈迦や儒教の開祖・孔子が知ったら「何だそれ!」と、とても驚くことでしょう。そんな硬いことを言うな、と叱られそうですね。そのとおりかもしれません。何でもアリの日本人は、ケルトのハロウィーンを楽しんだ後、キリスト教のクリスマスを祝い、その6日後には神道のしきたりに従って神社に新年の柏手を打つのですから ...。

節操ないという見方もあるかもしれませんが、この世にはまだ科学では解明できないことが山ほどあって、その「不思議」から生まれたさまざまな習俗を素直に受け入れ「見えない何か」に畏敬の念を抱くことはむしろいいことだと思います。月に立つ科学力のある現在でも人は雨、風、雪、雷 何一つコントロールできない...のですから、森羅万象を全部わかったような気になることの方が問題かもしれません。


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